No.33(唐A) :
「唐の『三位一体の制度』はどのように崩れたか?」
中国史上唯一の女帝則天武后による唐の中断の後、皇帝玄宗は開元の治を行い
全盛を築いた。しかしその裏では商品経済の発展により均田制が崩れ荘園が登場。
府兵制に替わり傭兵を使用した募兵制がとられた。そんな中、安史の乱が起き、玄
宗は都長安を占領され愛する楊貴妃を失う。その後、皇帝徳宗の時には租庸調も
両税法に替わり、三位一体の制度は崩れた。
<評価の観点>
関心・意欲・態度:
我が国で「世界三大美人」の一人として有名な楊貴妃は、中国では「傾国の美人」の
代表格であることを知ることにより、高い関心を持って授業に臨んでいる。
思考・判断:
「開元の治」と呼ばれる玄宗の治世前半の下、商品経済が非常に活発になったこと
が、農本主義で現物経済を基本とした社会を崩し始めたという社会変化について、
的確に判断している。
資料活用の技能・表現:
「楊貴妃の入浴をのぞき見する玄宗皇帝」の想像図を見て、美人に溺れ政治を怠っ
た治世後半の玄宗に対して感慨を深めている。
知識・理解:
安史の乱に前後して、それまでの中国社会を安定させていた三つの制度(均田制・
府兵制・租庸調制)が瓦解していくことやその理由について、基本的な知識を身につけている。